1980年
ザンフィル初来日。
この初来日の様子はザンフィルのCD『アメージング グレイス』パンフルート名曲集の宮本 啓氏の解説書にも、次のように記されています。
~~日本へは1980年にプロモーションを兼ねて来日、天皇陛下(当時皇太子殿下)も御覧になったステージをきっかけに、知名度は一挙に高まったのでした。~~
ここからは日本におけるパンフルートの先駆者、永井氏にお聞きしたことを書いてみようと思います。
小泉文夫氏のNHK FM 「世界の民族音楽」で、『ルーマニアのナイ』というこれまでに見たことも聞いたこともない笛の虜となった永井氏は、
ナイのことをもっともっと知りたくなったのです。でも、現在のようなインターネットもない時代です。誰に聞いてもどこに行ってもらちがあかず困り果て、最後のとりでと
ルーマニア大使館に向かったのです。
しかし
はじめは対応に当たられた職員でさえ
ナイのことを知らず、苦戦しました。
それでもあきらめきれない永井氏は、大使館に通い詰め彼の持てる知識、情熱を総動員してナイの素晴らしさを訴えたのです。
「とにかく一度日本にナイ奏者をよんで、演奏会を開いてほしい。
そうすればナイの素晴らしさが解るはずだから」と。
そうこうしているとある日大使館によばれ、
思いがけずに『ナイ』をプレゼントされるのです。
それを小泉文夫氏に話した所、
小泉氏からも「私の持っているナイは、観光みやげですが、あなたのは本物です。大事にして下さい」という趣旨の手紙を受け取ったのです。
こうして
(当時)彼はいつしか"パンフルート研究家"と呼ばれるようになったのです。
日本でパンフルートを語るとき、外せない方が数名いらっしゃいます。
なんといってもその筆頭は、小泉文夫氏で、
NHK FM 「世界の民族音楽」(1965 ー 1983)で ルーマニアのナイ(当時、日本ではこうよんだ
)という笛の音楽をとりあげたのです。
後日、著書「呼吸する民族音楽」のなかで
その頃は民族音楽に興味を持つ人は少なかったので、 (中略) 恐る恐る聴取者の反応を気にしながら、ナイの音楽を電波にのせ、「私の趣味を押しつけるわけではありませんが……」と、そのすばらしさを吹聴した時、意外にも多くの方々から共感の御返事をいただき、以来、日増しに愛好家が増え続け、また日本以外の欧米でも流行になりはじめた。
そして、この放送を聴きナイの虜となり、それ以来時間の許すかぎり脚を棒にして動きまわり、
ついに
日本で初めてナイを手にし、初めてのパンフルート演奏会にまでこぎつけた、千葉の永井氏へと続くのです。
長い冬が明け 庭の桃の花が咲きました。
そして 私も
長〜い冬眠から 目覚めました
どちらも 実を結ぶといいなぁ