[
先月は、2軒の古民家でのコンサートがありました。
その時、「インディアンフルート」とご一緒しました。
初めての出会いでした。
杉でできたリコーダーのような尺八のような、、、
やさしい音色の縦笛でした。
求愛に用いられたことから、「ラブフルート」と呼ばれることもあるインディアンフルート。
失恋から生まれたパンフルート。
どちらも ロマンチックな笛だなぁ… 💕
[
先月は、2軒の古民家でのコンサートがありました。
その時、「インディアンフルート」とご一緒しました。
初めての出会いでした。
杉でできたリコーダーのような尺八のような、、、
やさしい音色の縦笛でした。
求愛に用いられたことから、「ラブフルート」と呼ばれることもあるインディアンフルート。
失恋から生まれたパンフルート。
どちらも ロマンチックな笛だなぁ… 💕
茶寮 大佐和~茶室「雲霓」
箱根彫刻の森美術館より、2010年に島田市(静岡県)に移築された茶室です。
ここでのコンサートは、今回が初めてということでした。
お客様は、はじめにお抹茶と和菓子をいただいてから、緋毛氈にすわってコンサートを鑑賞するという、茶室ならではの趣のあるものでした。
この日は二つの出会いがありました。
そのひとつは
茶室から少し離れた所に、大井川鉄道の抜里駅(ぬくりえき)があり、そこには知る人ぞ知る「さよばぁちゃんの休憩所」があります。
この駅の歌「タンタン狸の抜里駅」の初お披露目がありました。
これには小さなドラマがあって、作詞の黒澤様と作曲のユリちゃん(私達のキーボード奏者)が、お互いの知人を介してできた歌で、たまたまチラシの協力欄に黒澤様のお名前を目にしたユリちゃんの働きかけにより、サプライズ披露となり、作詞作曲のお二人も初めて顔をあわせたのです。
「さよばぁちゃんの休憩所」の皆様、また歌いに行きます ねっ
それからもうひとつ
「ロマーナの祈り」を聴いて、パンフルートの音色に魅せられた F様との嬉しい出会いが私にはありました。
すでにパンフルートも数本お持ちとか、、、
本当に”好き”なんですね
わかります! わかります!
魅せられたお仲間ですもの。
なにから手をつけたら良いのか、お困りのことと思います
先ずは
「パンフルート演奏入門」
ダヨリ パンフルートスクール メソッド
J.ムルク著 中村純 訳(本の風景社)¥1500
をネットで購入するのをお薦めします。
(私の修行先、師匠の本です)
皆様、ありがとうございました(o^^o)
小泉文夫著 「フィールドワーク」より
いつか皇太子殿下ご夫妻がルーマニアとブルガリアをご訪問になられるというときに、ブルガリアとルーマニアの音楽について教えてほしいということで、美智子妃殿下も皇太子殿下も非常に音楽がお好きですから、私は楽器だのレコードだのいろいろなものを持って参りました。そのときにこの笛を持っていきまして、私はうまく吹けないからレコードを聴いてくださいと、ゲオルゲ・ザンフィルのレコードをテープに入れてお聴きいただいたのです。そうしたら妃殿下はたいそう気にいられて、私の帰りぎわに、もう一度その笛を貸してくださいといわれて、この笛をご自分でちょっとお吹きになったりされて、すっかり気に入られたのです。
そのことがすぐに宮内庁から外務省、外務省からルーマニア大使館、それからルーマニア本
国へと連絡がいっていますから、両陛下がルーマニアにいかれたときには、方々訪問される先々に、この笛の演奏家が待機していまして、殿下がいらっしゃると演奏したわけです。
それで、両殿下がお帰りになりましてから、またパーティでお呼ばれがありまして参りましたときに、皇太子殿下が「妃殿下があの笛を非常に気に入りまして」と話され、そこに妃殿下も出ていらして、輝かしい音楽のときにはすばらしいメロディーになるし、ゆっくりとした音楽になると涙が出てくるとのことでして、そのくらい気に入られた笛なのです。
(1984 冬樹社)
ここからは日本におけるパンフルートの先駆者、永井氏にお聞きしたことを書いてみようと思います。
小泉文夫氏のNHK FM 「世界の民族音楽」で、『ルーマニアのナイ』というこれまでに見たことも聞いたこともない笛の虜となった永井氏は、
ナイのことをもっともっと知りたくなったのです。でも、現在のようなインターネットもない時代です。誰に聞いてもどこに行ってもらちがあかず困り果て、最後のとりでと
ルーマニア大使館に向かったのです。
しかし
はじめは対応に当たられた職員でさえ
ナイのことを知らず、苦戦しました。
それでもあきらめきれない永井氏は、大使館に通い詰め彼の持てる知識、情熱を総動員してナイの素晴らしさを訴えたのです。
「とにかく一度日本にナイ奏者をよんで、演奏会を開いてほしい。
そうすればナイの素晴らしさが解るはずだから」と。
そうこうしているとある日大使館によばれ、
思いがけずに『ナイ』をプレゼントされるのです。
それを小泉文夫氏に話した所、
小泉氏からも「私の持っているナイは、観光みやげですが、あなたのは本物です。大事にして下さい」という趣旨の手紙を受け取ったのです。
こうして
(当時)彼はいつしか"パンフルート研究家"と呼ばれるようになったのです。