美智子妃殿下も気に入られた笛

f:id:panflute:20170525130640j:plain


小泉文夫著 「フィールドワーク」より

いつか皇太子殿下ご夫妻がルーマニアブルガリアをご訪問になられるというときに、ブルガリアルーマニアの音楽について教えてほしいということで、美智子妃殿下も皇太子殿下も非常に音楽がお好きですから、私は楽器だのレコードだのいろいろなものを持って参りました。そのときにこの笛を持っていきまして、私はうまく吹けないからレコードを聴いてくださいと、ゲオルゲ・ザンフィルのレコードをテープに入れてお聴きいただいたのです。そうしたら妃殿下はたいそう気にいられて、私の帰りぎわに、もう一度その笛を貸してくださいといわれて、この笛をご自分でちょっとお吹きになったりされて、すっかり気に入られたのです。
 そのことがすぐに宮内庁から外務省、外務省からルーマニア大使館、それからルーマニア
国へと連絡がいっていますから、両陛下がルーマニアにいかれたときには、方々訪問される先々に、この笛の演奏家が待機していまして、殿下がいらっしゃると演奏したわけです。
 それで、両殿下がお帰りになりましてから、またパーティでお呼ばれがありまして参りましたときに、皇太子殿下が「妃殿下があの笛を非常に気に入りまして」と話され、そこに妃殿下も出ていらして、輝かしい音楽のときにはすばらしいメロディーになるし、ゆっくりとした音楽になると涙が出てくるとのことでして、そのくらい気に入られた笛なのです。
1984 冬樹社)

ナイがパンフルートと呼ばれるようになった日

来日中のザンフィルの記者会見に、長井氏も
記者に混じって参加を許されました。

そして質問をしました。

「先ほどからパンフルートパンフルートと言っていますが、日本ではこの笛のことをナイだと認識しています。ナイでは無いのですか?」と。

ザンフィルの答えは

「今、ヨーロッパではこの笛をパンフルートと呼んでいます。」というものでした。


この日を境に日本でも
ナイがパンフルートと呼ばれるようになったのです。

ザンフィル初来日

1980年
ザンフィル初来日。

この初来日の様子はザンフィルのCD『アメージング グレイス』パンフルート名曲集の宮本 啓氏の解説書にも、次のように記されています。
 
~~日本へは1980年にプロモーションを兼ねて来日、天皇陛下(当時皇太子殿下)も御覧になったステージをきっかけに、知名度は一挙に高まったのでした。~~

パンフルート研究家とよばれた永井氏

ここからは日本におけるパンフルートの先駆者、永井氏にお聞きしたことを書いてみようと思います。


小泉文夫氏のNHK FM 「世界の民族音楽」で、『ルーマニアのナイ』というこれまでに見たことも聞いたこともない笛の虜となった永井氏は、
ナイのことをもっともっと知りたくなったのです。でも、現在のようなインターネットもない時代です。誰に聞いてもどこに行ってもらちがあかず困り果て、最後のとりでと
ルーマニア大使館に向かったのです。

しかし
はじめは対応に当たられた職員でさえ
ナイのことを知らず、苦戦しました。
それでもあきらめきれない永井氏は、大使館に通い詰め彼の持てる知識、情熱を総動員してナイの素晴らしさを訴えたのです。

「とにかく一度日本にナイ奏者をよんで、演奏会を開いてほしい。
そうすればナイの素晴らしさが解るはずだから」と。

そうこうしているとある日大使館によばれ、
思いがけずに『ナイ』をプレゼントされるのです。
それを小泉文夫氏に話した所、
小泉氏からも「私の持っているナイは、観光みやげですが、あなたのは本物です。大事にして下さい」という趣旨の手紙を受け取ったのです。

こうして
(当時)彼はいつしか"パンフルート研究家"と呼ばれるようになったのです。

今日はザンフィル(1941 ルーマニア)の生まれた日です

    私が初めて手にしたパンフルートのCD

 

 f:id:panflute:20170512153029j:plain


パンフルートといえばザンフィル。単なるルーマニアの民族楽器のひとつでしかなかったパンフルートを、西洋音楽界にまでその活躍の場を広げたのはザンフィルでした。

 

ジェームス・ラスト作曲『ロマーナの祈り』が、

1977年に大ヒットし、ザンフィルの名前が一躍世界に知れ渡りました。

2003年、クエンティン・タランティーノ監督の『キル ビル』にも使われています。

 

パンフルートの音色を私の心から離れなくしたのは、1981年のTVドラマ『想い出づくり』と同名のテーマ曲(小室 等作曲) でした。

 ただ 当時はパンフルートという笛の存在さえ知りませんでしたが・・・

 

今日は小泉文夫氏(1927 ー 1983)が生まれた日です

f:id:panflute:20170404102227j:plain

日本でパンフルートを語るとき、外せない方が数名いらっしゃいます。

なんといってもその筆頭は、小泉文夫氏で、
NHK FM 「世界の民族音楽」(1965 ー 1983)で ルーマニアのナイ(当時、日本ではこうよんだ
)という笛の音楽をとりあげたのです。

後日、著書「呼吸する民族音楽」のなかで

その頃は民族音楽に興味を持つ人は少なかったので、 (中略) 恐る恐る聴取者の反応を気にしながら、ナイの音楽を電波にのせ、「私の趣味を押しつけるわけではありませんが……」と、そのすばらしさを吹聴した時、意外にも多くの方々から共感の御返事をいただき、以来、日増しに愛好家が増え続け、また日本以外の欧米でも流行になりはじめた。


そして、この放送を聴きナイの虜となり、それ以来時間の許すかぎり脚を棒にして動きまわり、
ついに 
日本で初めてナイを手にし、初めてのパンフルート演奏会にまでこぎつけた、千葉の永井氏へと続くのです。